「泣きながら生きて」

5年前に見たTV番組を、ネットで見ることができた。番組名は「泣きながら生きて」。再び、泣いた。

ストーリーはこうだ。
中国の文化大革命の時期に、下放政策によって不遇にも、無理やり上海からど田舎に移住させられ、ほとんど教育らしい教育を受けさせられなかった青年が、結婚し上海に上京し一人娘をもうけたが、未来を切り開くために、大借金して日本語を学びに日本の北海道阿寒町に来る。このとき1989年、彼の歳は35歳。

 しかし、学びながら働いて暮らしていくつもりだったが阿寒町には仕事がなく、生活費に困り学校を飛び出し稼ぐために東京に出る。そして仕事を見つけ借金を返す為に働いていくうちに、いつしか上海に残してきた我が子に十二分な教育を受けさせたいと強く願い、借金を返した後も、不法労働を続け、娘のために稼いだお金を残した妻子へ送金を続ける。働き方と節約が尋常ではない。朝から深夜まで毎日3種の仕事を続け、食事は全て自炊で節約し、風呂なしのアパートでビニール袋にためたお湯で体を洗う。ここまで見たら、もう胸がいっぱい。

 不法労働だから、出国したらもう二度と日本には戻れない。だから、目的を達するまで一度も中国に帰らない。。結局、小学生だった娘が大学に合格するまでの8年間、一度も中国に帰らず、必死に働き、最大限の節約生活をした。

 そして、遂に娘がニューヨークの大学に合格する。その進学のために、娘が上海からニューヨークに向かうときに、トランジットで降りた日本で、父と娘はなんと8年ぶりに涙の再会する。ここで、完全に号泣する。
 「国が国民の生活を豊かにする責任があると同様に、親は子供を立派に育てる責任がある」と父は強く言う。

 さらに、上海にいる母が娘のいるニューヨークに向かう際に、トランジットで降りた日本でこの父と再会するのがなんと、13年ぶり。2度目の号泣。

 娘がニューヨークの大学を卒業し、医師になる時期にようやく、父は日本から妻の待つ上海に向かう。15年ぶりの帰国だ。父はこの時、「中国は、日本の勤勉さを学ばなければならない」と言う。

http://www.tudou.com/programs/view/cJCI1DFlWFc/
一見の価値ありです。

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